(聖書/イエスの言葉)
「これらの小さな者の一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつも私の天の父の御顔を仰いでいるのである。」
マタイ福音書18章10節
昔、悪いことをしているのが親に見つかり、恐くて家に帰ることができなかったことがあります。外が真っ暗になる中、行くところのない私は道端に座り込み、このまま世界から消えてしまいたい気持ちになりました。その時、一人の老人が私を見つけ声をかけてきました。「家に帰りなさい。きみの親は心配しているよ」。暗がりで顔は見えませんでしたが、その声に不思議な温かさを感じた私は、家に帰ることができました。
またこんなこともありました。夏の一番暑い時間帯、父親の運転する車で小さい弟とホームセンターに行きました。その時、寝ていた弟を父親は車に残し、私だけを連れてホームセンターに入って行きました。弟が心配になった私はすぐに車に引き返しましたが、弟は車の中にいませんでした。通りすがりのご婦人が、ぐったりしている弟を見つけ、偶然車の鍵が開いていたので、弟を涼しい所に連れて行き、水を飲ませてくれていたのです。弟を見守るご婦人の優しい顔を今でも覚えています。
そして彼らこそ、聖書の語る天使たちなのです。背中に羽ははやしてはいなくても、温かい光をまとった姿で現れ、私たちを見守り、私たちを愛する神様のもとへと導いてくれたのです。そしてそれこそ私たちの過ちを正してくれることでもあります。
数年前にはこんなこともありました。末期癌によって入院中の義母が、最期に主イエスへの信仰を回復し、すべてを神様に委ねていた日曜日の朝、義母は我が家に来てくれました。大好きなコーヒーを飲んでいる音が聞こえ、その匂いさえしました。私はその気配で起き、礼拝堂でメッセージの練習をしていました。その時、妻が来て「今、母が亡くなった」との知らせを持ってきてくれたのです。
この話には続きがあります。義母は義弟のもとにも日曜日の朝に現れ、「起きなさい」と言ってくれたそうです。それで義弟は、義母の葬儀後の挨拶でこう言いました。「私は死にゆく母に何かをしてあげたい。ずっとそう思ってきました。しかし母は最期、すべて満たされ、感謝を口にしていました。その母が唯一したいと願っていたのが礼拝でした。私はずっと教会から離れていましたけれども、教会に行ってみようと思います。」