望みの時
聖書の人物中、もっとも不信仰な人はエジプトの王ファラオです。彼は神の人モーセを通して、神様の奇跡をたくさん見たにも関わらず、神様を救い主として受け入れることはありませんでした。
そんな人が国のトップでしたから、国民は増々不幸になっていきました。彼の不信仰によって、様々な災害が起こったのです。その一つがカエルの災いでした。
国中にカエルが大量発生し、人々を襲いました。困り果てた王はモーセに泣きついて言いました。「カエルを帰る(カエル)ようにしてくれるなら、私も主なる神に立ち帰る(カエル)」と。
それでモーセは言いました。「王よ、あなたの望みの時はいつですか。私は主に言って、その時にカエルを帰らせます」。
さて、王はいつと言ったでしょう。なんと「明日」と言いました。もう一日、災いであるカエルと一緒にいたいと言ったのです。なんと愚かな人でしょう。
でも、これこそ不信仰です。それは明日になれば、神様に立ち帰らなくても救われると思うことです。しかし、神様の救いはそのようにやって来ることはありません。
なぜなら神様の救いは、神様の定める時にやって来るからです。その時を私たちは望むのです。ファラオはそのことを見ようとしなかったため、ついには自分の救われる時を見失ってしまったのです。
私たちはどうでしょう。神の子イエス・キリストによって、いつでも主に立ち帰ることが可能となりました。それでもファラオのように「明日」と言いますか。それとも今日、主に立ち帰りますか。あなたの望みの時はいつですか。
今月のみ言葉:
ファラオが、「明日」と言うと、モーセは答えた。「あなたの言われるとおりにしましょう。あなたは、我々の神、主のような神がほかにいないことを知るようになります。」
(聖書 出エジプト記8章6節)