7月のニューズレター
地上に住む人々の悩み苦しみを知る時、天からの助け、神の声が私達に聞こえてきたらと願う。しかし、その声は本当にあるのだろうか。また、その声が本当にあるのなら、それはどこから聞こえてくるのだろうか。
私の好きなジョークにこんな話がある。ある人が崖にしがみついていた。彼は天に助けを求めた。「神よ、私を助けてください。」すると助けに来た仲間が上からロープを降ろしてきた。しかしその人は、自分は天に助けを求めたからと言って、ロープをつかもうとしなかった。再び彼は助けを求めた。そうすると今度は、レスキュー部隊がヘリに乗ってやって来た。しかしこの助けに対しても、彼は前と同じ理由で拒んだ。その後、彼は崖から落ちて死んでしまった。死後、彼は神の前に立った。そして神に向ってこう言った。「なんで私を助けてくれなかったのですか。」天の神はこう答えた。「私は2度もあなたを助けようとした。」
この話はジョークだから笑うためにある。そして聖書にも、このような笑える話が多く出てくる。その中で最も印象的な話は、地上の人々を救いに来たはずの神の子が逆に十字架で殺されそうになり、天からの救いを求めるところだ。神の子は、自分の身分に固執せず、自分を笑いものにすることができた。ここに神の救いがあるのかもしれない。
私自身、神の声を一度だけ聞いた経験がある。日曜日の朝、助けを求めていた私の心に神は語りかけてくれた。その時、私の悩みは取り去られ、私は完全に自由になることができたと思った。それはこのような経験が再びできるのなら、何も惜しくはないと思えるほどだった。その日、私は自分の苦しみとなっていた人々に電話をし、自分の考える最善のことをした。もうあなたとは関わらないと相手に伝えたのだ。そうすると、その人々は私の言葉に傷つき倒れてしまった。事情を知った私の妹が私に電話をしてきた。
最初、彼女は厳しい口調で私を問いつめてきたが、段々と私の話に耳を傾けてくれた。そして私が本当は何を願っているのかを聞いてきた。私にとって、その問いに答えることは痛みが生じることだった。そして、今度は私の方が倒れてしまった。その私に向って妹はこう言った。「知っているかもしれないけど。私は、20パーセントはあなたの味方だからね(80パーセントは相手側)。」不思議なことに、私は妹の言葉を聞いて、「自分は救われた」と思った。そして私が最善だと思っていたことよりも、はるかに良いことが私に、そして周りの人々に起きていった。
あの日、私はたしかに神の声を聞いた。神は私を救うためにご自分の手を何度も差しのべてくれたのだ。
三鷹バプテスト教会
主任牧師 秋山献一