11月のニューズレター
聞くこと、見ること
音楽を聞く機械にイヤホンをつけました。けれどもイヤホンから音は出てきません。イヤホンに問題があるのか、機械に問題があるのか、それとも機械を作った人に問題があるのでしょうか。
すべて違いました。イヤホンを差し込むところに小さなクズが入っていて、正しくつながっていなかったのです。これは良い教訓です。
聖書では、神様に愛されて造られた人はみな、神様からの言葉を聞くことで生きていきます。しかし罪がすべてをダメにしました。罪とは、私たちと神様の間にできたクズのことで、それで聞けなくなってしまったのです。
ですから、この世が教えるように、罪とは私たちに問題があることではありません。神様は私たちを良いものとして造ってくださいました。当然、神様に問題があるわけでもありません。
では、どうしたら再び聞くことができるのでしょう。それは罪を取り除くことです。そのために神様は、私たちのもとにイエス様を遣わしてくれました。イエス様に出会えば、罪はすべて取り除かれていきます。
ただし現代において、イエス様と直接出会うことはありません。それで人は別の方法を選んでいます。自分の心の声に聞くこと、魅力的に見える人に聞くことです。でもイエス様に間接的に出会うことは誰でもできます。小さな子も、老人も、弱い人も、貧しい人も皆、イエス様に出会えます。
なぜならその出会いは、イエス様を愛する人々の中で、教会の中で起きるからです。その証拠に、教会にいる私たちは、繰り返しイエス様が彼らに出会い、救い、癒し、励ましてくれたことを見てきましたから。
聖書の言葉:
聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた。
(箴言20章12節)
使徒パウロの言葉。「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」(テサロニケの信徒への手紙一 2章13節)